鏡面にも暗闇は映るのに、どうしてか
揺らぎは輝きばかりを増していく

それが、擬似的なものであるからに過ぎないのか
であるなら、その影と揺らいだ数多の光には、錆という錆が、泥という泥が醸成され、内包されているやもしれぬ

それが、本質からしてその様な理としての働きに殉じているためであるのか
であるなら、此岸、彼岸の区別なく、色彩映ゆる水面こそ、影に揺らぎを持つのやもしれぬ