鬱屈しているし、屈折もしている。
言葉や態度、姿勢程心は平淡を望んでいない。目に入る幸せそうにしている奴等は死んで欲しくなる。それは望んでも手に入るものではないから、自ら積極的に行動していく必要性を理解していても、世界がいまいち安定しないので、どうにもぐらつく。不信心で異端な心を、行為を神は罰しなかった。それはひとえに、世界が揺らぎを持っていて、その状態を良しとしているからだ。彼奴等の瞳に神は宿っていることに、羨望を覚える。だが、嫉妬し、あまつさえ憎んでいることを嫌ってはいない、と思う。自分の家の庭に芝生があれば、心は疲労し、病んでしまうだろう。要は、屈折しているのだ。
夜になっても影と陰は文明の利器に一体化を阻まれるし、ろくに孤独を求めることもできない。理想のせいだ。灯りのせいだ。希望のせいだ。彼奴のせいだ。
捨て置けば変わってしまう。拾えばなくなってしまう。袋小路を望まず、天災を望む。
もう神はいないのに。

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